今日は、いよいよ結願の日を迎えました。
88番まで終わると、1番の霊山寺か高野山へお礼参りに行くのが慣わしらしいです。小生の場合は、掛け軸に高野山でご朱印を頂くスペースが残っているので、一旦帰ってから日を改めて高野山に行くことにします。
- 85番 八栗寺(やくりじ)7.6km
- 86番 志度寺(しどじ)7.4km
- 87番 長尾寺(ながおじ)16.5km
- 88番 大窪寺(おおくぼじ)
昨日下見して置いた八栗寺ケーブルカー乗り場に8時過ぎに到着です。運賃は往復1000円でした。
ケーブルカーを降りると、少し下った所が八栗寺です。
八栗寺の後ろには、奇妙な形の五剣山の大岩壁が迫っています。この山は宝永の大地震で5つあった峰の内、一番高かった五ノ峰が崩壊して4つの峰になったと言われています。
南海トラフでは、90-150年間隔でM8クラスの巨大地震が連鎖して発生し、四国に大きな被害を与えてきたそうです。特に、1707年の宝永大地震(M8.6)は2012年3月11日東日本大地震が発生するまでは日本最大の地震といわれていたそうです。
確かに下左画像の右端が五ノ峰で上半分がありません。
奥の院の更に上の中将坊堂の奥の山道を歩いてみました。しばらく行ってみましたが、どうやら五剣山の方へ行く道の様でした。途中で倒れていても誰も発見してくれそうにありませんでしたから、戻りました。
86番志度寺の仁王門の仁王像は運慶作によるものらしいです。小生のような無学な者には全く分かりませんけど・・・・。
志度寺の門の近くに「自性院」というお寺があって、平賀源内さんのお墓がありました。
87番長尾寺は非常に広い境内です。このお寺は静御前が出家したお寺だそうです。
石川県の北陸自動車道「尼御前SA」の尼御前岬は、静御前が義経の旅の無事を祈って、岬から身を投げた所だと言われています。
大窪寺の山道を軽4で登っていると、歩き遍路の外人さんに会いました。外国からの人は、四国へ来てから2人目です。話を聞くと日本に住むインドの人らしいです。
「今日で終わりです!」と、嬉しそうに言っていました。
いよいよ結願の札所の88番大窪寺に到着しました。最後の札所に相応しい、とても大きな仁王門です。四国霊場最大級の門だそうです。
ドライブ遍路のなまくらな小生でさえ、結願の札所として感慨深いものがあるのですから、歩き遍路の人たちにとってはその思いはまた格別のモノがあると思います。
皆さん、八十八ヶ所巡礼をやり遂げた喜びのポーズをカメラに収めていました。息子さんがYouTubeにアップするのだと言って、GoProで撮影している人もいました。
南側の山門(二天門)を出ると、みやげ物屋が並んでいます。その一つの八十八庵(やそばあん)に入って、当店名物の「打ち込みうどん」を食べました。美味しかったので「おみやげ」用も買いました。
その後、ちょっと時間的に厳しかったのですが、金毘羅さんに登りました。妻がちょっとした山登りも息が辛くなった5年前にここに来ました。最後まで登れなくても良いと思って、後ろに付いて登りましたが、どうした訳か785段の階段を最後まで登り切ってしまいました。
その思い出の金毘羅さんです。
登る時に客引きが巧みだった表参道のおみやげ屋さんも、下りてきた時には店仕舞いしていました。