いつも四国に行く時は、真ん中の橋「瀬戸大橋」を渡るのですが、今回は道の駅のスタンプラリーも兼ねているので、淡路島に4つある道の駅に行かなくてはなりません。田舎者の81歳の爺さんが、大都会の神戸を通って「明石海峡大橋」を渡ることができるか、かなり心配ですがカーナビを頼りに行ってみることにしました。
四国霊場巡礼と道の駅スタンプラリー
- ●兵庫県スタンプ
- 道の駅 淡河(おうご)〇
- 道の駅 あわじ〇
- 道の駅 東浦ターミナルパーク〇
- 道の駅 福良〇
- 道の駅 うずしお〇
- ●徳島県
- 道の駅 第九の里時間外
道の駅淡河から13kmほど走ると、神戸市西区の住宅団地がある辺りでしたが、田んぼがありヒガンバナが満開でした。
「こんな大都会でもヒガンバナが咲いている!」と、嬉しくなって、思わずシャッターを切りました。
更に13kmほど走って都会の真ん中の神戸市垂水区の垂水ICで神戸淡路鳴門自動車道に無事乗れました。
直ぐにトンネルに入ります。都会の地下を走っているようでした。
だんだん坂道を登っている感じになると前方に外の明かりが見えてきて、トンネルを出たら直ぐに巨大な「明石海峡大橋」でした。意外と簡単に来れてしまいました。
昔、2016年の秋、妻と四国旅行をした帰りに「明石海峡大橋」を渡ったことがありましたが、地下ばかりを走って、どこをどう走ったのか全く分からないまま、何とか山陽自動車道に乗れて、やっとホッとしたことがありました。
また、いつだったか、大阪に行った帰りに、交差点を左折しようとしたら、4車線か5車線ある道路が一方通行で全部の車がこっちを向いて信号待ちをしているのです。慌てて元の車線に戻りましたが、もう都会の道を走るのはこりごりだと思いました。
淡路島の最初は淡路SAで自動車道を降ります。日曜日でしたから駐車場は大変な混みようでした。観覧車などを写真に撮って孫に送ってやりました。
「お! 観覧車。ここどこ?」
「淡路島のサービスエリア。 もの凄く混んでいるよー 駐車場は満車!」
駐車場を出るのに時間がかかりましたが、淡路島の北の端の「道の駅あわじ」に到着。スタンプをゲットして、巨大な橋を下から見ました。
橋のケーブルを支えている巨大なアンカーを写真に撮って、息子と孫に送ってやりました。
「巨大なコンクリートの塊の下に自動車が写ってるから比較してね!」
「きぇー! こんなに巨大なの!」
この巨大な吊橋の2本のメインケーブルを固定するための巨大なアンカーは、ケーブル1本あたり6万tの張力を受け止めているらしい。大きさは長さ84.5m、幅63m、高さ48mで、地下は64mまで掘り下げられ、その総重量は約35万tもあるらしい。何もかもが巨大でした。
食事ができる所はどこも長蛇の列です。並んでいない所があったので、ちょっと時間的には早かったのですが、「タイのあら定食」で昼食にしました。
随分煮詰まったらしく、かなり濃すぎる味でした。もう少し薄い味だともっと美味しかったでしょうに・・・。
道の駅東浦ターミナルパークはスタンプを押しただけ。そして淡路島南端に近い道の駅福良へ。
渦潮を見物する「うずしおクルーズ船」はここから出るようです。しかも咸臨丸とか日本丸とか昔の帆船の形です。咸臨丸がちょうど出航する所でした。1時間の船旅で料金は\2500円だそうです。
次は淡路島最南端の「道の駅うずしお」ですが、大鳴門橋を展望できる小高い丘の上に移転していました。2016年に来たときには門崎の先端近くにあって、そこから歩いて大鳴門橋の橋脚近くまで行って、渦潮も観察できたのですけど・・・・。
次は四国へ上陸ですが、その前に昔妻と泊った休暇村南淡路へ行ってみることにしました。ただ建物と景色を見るだけですけど・・・・。
ちょうど先ほどの咸臨丸が1時間のうずしおクルーズを終えて港に帰って来るところが見えました。
そして、淡路島南ICから再び神戸淡路鳴門自動車道で鳴門北ICまで。その先は一般道。神戸淡路鳴門自動車道を左に見ながら小鳴門橋を渡れば四国徳島県です。
道の駅第九の里へ急いでいたのか、その手前に「道の駅くるくるなると」があったことを見落としてしまいました。
第九の里から1番札所霊山寺までを行ったり来たりしている内に、道の駅が閉まってしまい、スタンプは明日という事になりました。
この道の駅は、ベートーベンの交響曲第九番がアジアで初めて演奏された地だという事をTVで知りました。
大正6年(1917)徳島県鳴門市近郊の板東というこの地で、第一次世界大戦で捕虜となったドイツ兵約1000人が坂東俘虜収容所でさまざまな活動を通して地元の人たちとの交流を育みながら3年間を過ごしました。
坂東俘虜収容所の所長松江豊寿中佐とドイツ人俘虜、そして地元住民たちの間で育まれた感動の人間愛によってドイツ人捕虜たちが、敗戦国となった祖国ドイツに帰る前に「ベートーベンのフロイデ(歓喜)を感謝のしるしとして、皆さんにプレゼントしたい。」として交響曲第九番をアジアで初めて演奏したそうです。(涙)